気ままな日記
2010-09-18 ゆうりんの家 納涼祭
ゆうりんの家第一回納涼祭
日頃お世話になっておりますので少しばかりお手伝いに寄せてもらいました。
朝晩はめっきり涼しいこのごろですが日中はこの夏を思わせるような強烈な日差しでした。
そんな中、大勢の利用者とご家族、日頃かかわる人たちそれにご近所の方までみなさん手作りの屋台の味を楽しみながらステージでのイベントに楽しそうに参加されていました。
昨年新しい事務所をOPENされてから前の駐車場スペースが活用できたわけで利用者のご家族の中には初めて来れれた方もあるようでした。
これでさらに安心してお付き合いが深まるのではとの思いで眺めておりました。
もちろんお昼は「串焼き、唐揚げ、焼そば、たこ焼き、ポップコーン」デザートはかき氷でした(´∀`)☆”
それにしてもここのスタッフはよく働きます。
朝からの準備はとても初めてのイベントとは思えない段取りの良さです。随所に手作りの味があります。
日中はずっと持ち場で調理や利用者のお世話。
もちろんその合間に在宅のお世話や送迎に走る人もいます。
いつもながら仕事に対する熱心さには頭が下がります。
熱い中ほんとにご苦労様でした。
2010-09-26 豊国神社〜豊国廟
豊国神社〜豊国廟
いつも京都新聞の「まちかど」欄をチェックしています。
最近歴史にかかわる話や散策をする会が増えていて楽しみにしています。
先週になりますが「京都の史跡を訪ねる会」に初参加して河原町七条から豊国廟まで歩いてきました。
河原町正面通りを東へ進むと高瀬川あたりに任天堂発祥の地がありました。
聞けばこのあたりはかつて五条新地七条新地があって花札などの売り上げで繁盛したのだそうです。
戦国時代を中心に数多くの処刑が行われた六条河原のあたりを超えると元和キリシタン殉職地という碑があり、さらに東へ進むとあの石田三成の軍師として有名な島左近の屋敷跡があり今は京料理道楽として営業されています。
左近というと関ヶ原の前夜、もし彼の作戦を取り入れていたなら結果はひょっとして・・というのを読んだことがあります。
豊国神社の鳥居が見えると手前の南側には秀吉の愚策「朝鮮出兵」にかかわる耳塚があります。
サラリーマン時代によくこの鳥居前辺りで休憩をしていていつかゆっくりと訪ねたいなぁと思いながら20年余りもかかってしまいました。
豊国神社は元は方広寺で南は三十三間堂の南の門まで広かったそうですが秀吉の死後、徳川幕府によってお墓もろとも完全に破壊されたそうです。
明治13年になって旧豊臣家家臣の子孫の会「豊国会」によって豊国神社として復興しその後明治31年に秀吉のお墓も豊国廟として再建されたそうです。
あの大坂冬の陣のきっかけになる釣鐘も健在で「君臣豊楽・国家安康」の文字もしっかりと見ることが出来ました。
さて最終目標の豊国廟ですがそこに至るには565段の階段があることをこの日登りきるまでまったく知らなくてこれには大変堪えました(*≧m≦)
それでも頂上の眺めはさぞすばらしいだろうと楽しみに頑張りましたが期待に反して木が生い茂り隙間からほんのわずかに街並みを覗くだけでした。近所の衣笠山に登った時の二の舞です(´o`)
ほんの少しだけ規則を曲げてでも楽しみを作ってもらえないものでしょうか・・・
急な階段は帰りも大変です。
うっかり足を踏み外せばまっさかさま・・・ぞっとします。
先生からは横向きのカニ歩きを奨められました。
さておきこの日の資料は大変立派なもので先生の説明もとても丁寧でした。
600円の会費は安すぎで十二分に堪能させてもらいました。
加納先生どうもありがとうございました。
また寄せていただきたいと思っています。
*階段の写真は最後の半分ですよ。