気ままな日記
2010-09-26 豊国神社〜豊国廟
豊国神社〜豊国廟
いつも京都新聞の「まちかど」欄をチェックしています。
最近歴史にかかわる話や散策をする会が増えていて楽しみにしています。
先週になりますが「京都の史跡を訪ねる会」に初参加して河原町七条から豊国廟まで歩いてきました。
河原町正面通りを東へ進むと高瀬川あたりに任天堂発祥の地がありました。
聞けばこのあたりはかつて五条新地七条新地があって花札などの売り上げで繁盛したのだそうです。
戦国時代を中心に数多くの処刑が行われた六条河原のあたりを超えると元和キリシタン殉職地という碑があり、さらに東へ進むとあの石田三成の軍師として有名な島左近の屋敷跡があり今は京料理道楽として営業されています。
左近というと関ヶ原の前夜、もし彼の作戦を取り入れていたなら結果はひょっとして・・というのを読んだことがあります。
豊国神社の鳥居が見えると手前の南側には秀吉の愚策「朝鮮出兵」にかかわる耳塚があります。
サラリーマン時代によくこの鳥居前辺りで休憩をしていていつかゆっくりと訪ねたいなぁと思いながら20年余りもかかってしまいました。
豊国神社は元は方広寺で南は三十三間堂の南の門まで広かったそうですが秀吉の死後、徳川幕府によってお墓もろとも完全に破壊されたそうです。
明治13年になって旧豊臣家家臣の子孫の会「豊国会」によって豊国神社として復興しその後明治31年に秀吉のお墓も豊国廟として再建されたそうです。
あの大坂冬の陣のきっかけになる釣鐘も健在で「君臣豊楽・国家安康」の文字もしっかりと見ることが出来ました。
さて最終目標の豊国廟ですがそこに至るには565段の階段があることをこの日登りきるまでまったく知らなくてこれには大変堪えました(*≧m≦)
それでも頂上の眺めはさぞすばらしいだろうと楽しみに頑張りましたが期待に反して木が生い茂り隙間からほんのわずかに街並みを覗くだけでした。近所の衣笠山に登った時の二の舞です(´o`)
ほんの少しだけ規則を曲げてでも楽しみを作ってもらえないものでしょうか・・・
急な階段は帰りも大変です。
うっかり足を踏み外せばまっさかさま・・・ぞっとします。
先生からは横向きのカニ歩きを奨められました。
さておきこの日の資料は大変立派なもので先生の説明もとても丁寧でした。
600円の会費は安すぎで十二分に堪能させてもらいました。
加納先生どうもありがとうございました。
また寄せていただきたいと思っています。
*階段の写真は最後の半分ですよ。