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気ままな日記


2012-09-30 櫻谷文庫

・ 櫻谷文庫

洛星高校から馬代通りを挟んだ西側に樹木に囲まれた古い建物があり前から気になっていました。

最近枝がほとんどはらわれて塀も低くなって敷地の内が見渡せるようになっていました。

そこが先日京都新聞で紹介された櫻谷文庫で日本画家木島櫻谷さんの住まいとアトリエだったのです。

昨日昼食と散歩を兼ねて出かけて来ました。

正直なところ絵画に知識がないのでどんな方なのかわかりませんでしたが円山応挙の孫弟子さんだという事とこの方が居を移されたことで堂本印象や山口華揚など当時の有名な画家がたくさん集まってこられこのあたりは「衣笠絵描き村」と呼ばれる事になったそうで、すごく著名な方であるということだけ分かりました。

敷地は2000坪あって住まいの和館は他家より天井が高く当時二階から東山連峰、五山の送り火の四つが見えたそうです。

なるほど上がってみるととても風通しが良くのんびり寝そべって「のらくろ上等兵」なんかを読みながら休憩していたのかなぁと想像できます。

呉服は高島屋、大丸からでしょうね。

とらやの羊羹の通い箱もあり裕福な暮らしぶりを思わせます。

隣の洋館には作品が展示されています。

すごく繊細な絵でまるで写真のようでした。

当時そういう風に夏目漱石に冷やかされ酷評され随分気にしてたという話は有名なのだそうです。

画室になっていた建物は平屋ですが二階建てに見えるほど高い天井で80畳もあり亡くなったあとは京都府立図書館の分室として使われた時期もあったようです。

広い中庭の跡はテニスコートになっていて大きな庭石だけが画室の前に残されていました。

説明の方から聞いたこぼれ話で面白かったのはここ衣笠は松竹に関わりがあり松竹ロビンスのホームグランドがあったらしい。

そういえば衣笠球場というのがあったという話は聞いたことがある。

帰ってから調べると立命館大学の正門近くで今も関西電力の電柱の表記は衣笠球場となっていて4,5柱あるそうです。

大正期の地図を見るともちろんきぬかけの道がありませんし周りは田んぼと藪で今の高級な住宅地からはとても想像できません。

それにしても歩いて行ける近所にいろんな時代の歴史がいっぱいあっていつもながら京都の奥深さに感心させられます。

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